映画=男性映画だった時代
映画というメディアは、その誕生以来、長らく男性の視点や経験を「普遍的なもの」として描いてきた歴史を持っています。アクション、戦争、西部劇、犯罪、冒険、SFといった数々のジャンルでは、主人公は多くが男性であり、その行動、野心、社会的な葛藤が物語の中心に据えられてきました。
このように、映画産業そのものが男性中心的な価値観に支えられていたため、特別に「男性映画」と呼ぶ必要すらなかったのです。なぜなら、それが“映画の当たり前”だったからです。批評や興行においても、暗黙のうちに男性の視点が標準化され、女性の物語は周縁的なものとして扱われる傾向が強く存在していました。
ハリウッド映画へのカウンターとしての「女性映画」
こうした状況下で登場したのが、「女性映画(woman’s film)」というジャンルです。とりわけ1930年代から1950年代にかけてのハリウッド映画において、この言葉は、男性を中心とした既存の映画構造に対する“カウンター”としての意味合いを持って使われるようになりました。
これは、単に「女性が登場する映画」ではなく、女性の感情、家庭生活、人間関係、社会的な役割や制約といったテーマに焦点を当てた作品群を指します。男性的なヒーロー像や暴力的な解決を中心とした物語とは異なり、より内面的で社会的な視点から女性の経験を描いた作品として位置づけられたのです。
日本映画における女性映画:松竹の系譜
同じような傾向は日本映画にも見られます。松竹映画は「女性映画の松竹」と称されるほど、家庭や女性の内面を繊細に描いた作品を多く生み出しました。成瀬巳喜男や小津安二郎らの監督作品、田中絹代や高峰秀子といった女優たちが登場する映画は、日本における“女性映画”の美学と情緒を築き上げた系譜として評価されています。
女性映画の主な特徴
- 主人公が女性である
- 恋愛や家庭、母娘関係などが主題
- 感情や内面の揺れ動きを繊細に描く
- 社会的制約の中で生きる女性の姿を通して、時代の価値観を映し出す
例えば、ハリウッドでは『ステラ・ダラス』や『イミテーション・オブ・ライフ』、日本では『浮雲』や『おかあさん』などが代表作とされています。
「女性映画」の反対は「男性映画」か?
ここで重要なのは、「女性映画」という言葉がある一方で、「男性映画」というジャンル名はほとんど使われないという事実です。これは、映画が長らく男性の視点を“デフォルト”とみなしてきたことの裏返しでもあります。
つまり、「女性映画」という呼称は、標準から外れたもの=特別枠としての女性の視点を意識的に取り上げたことを意味しており、それ自体が映画史のジェンダー不均衡を浮き彫りにしています。
現代における再定義と展望
近年では、フェミニズム映画、女性監督による作品、LGBTQ+視点など、多様な形で「誰が物語るのか」「どの視点が描かれるのか」という問いが再び投げかけられています。「女性映画」はもはや“家庭的で感傷的な映画”という狭義の枠を超え、女性の主体性や社会的変革をテーマにする作品群へと進化しているとも言えるでしょう。
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