序章:伝統芸能「萬歳」から近代「漫才」への変貌
日本の伝統芸能である「萬歳」は、平安時代に起源を持つ新年の祝福芸として発展し、太夫と才蔵という二人組による歌舞や祝言を特徴としていました 。しかし、20世紀初頭、この伝統的な形式は大きな変革期を迎え、現代に続く「漫才」へと進化を遂げます。この近代化の過程において、外部文化、特に欧米の喜劇が重要な影響を与えたことが指摘されています。本稿では、この外部文化の影響が漫才の近代化にどのように寄与したのかを詳細に考察します。
1. 「しゃべくり漫才」の誕生と外部からの示唆
漫才の近代化において最も画期的な変化は、歌や踊り、楽器演奏といった「色もの」の要素を排し、純粋な会話の面白さで観客を笑わせる「しゃべくり漫才」の確立でした 。この革新は、主に横山エンタツ・花菱アチャコによって成し遂げられ、彼らのスタイルは今日の漫才の基礎を築きました 。この「しゃべくり漫才」の誕生には、外部文化からの具体的な影響が見られます。
1.1. 横山エンタツのアメリカ巡業とチャップリンの影響
横山エンタツは、1929年に自身の一座を率いて半年間アメリカ巡業を行いました 。この巡業自体は興行的に成功しなかったものの、エンタツはそこでチャールズ・チャップリンをはじめとするアメリカの喜劇から大きな影響を受けました 。チャップリンに代表されるサイレント映画のコメディアンたちは、言葉に頼らない身体的なユーモアや、洗練された「間」の取り方で観客を魅了していました。エンタツがこれらの喜劇に触れた経験は、帰国後の彼の漫才スタイルに深く反映されることになります。
1.2. 漫才作家・秋田實の貢献と「世界の笑い」への関心
横山エンタツ・花菱アチャコの「しゃべくり漫才」の台本を執筆し、「上方漫才の父」とも称される秋田實も、漫才の近代化に不可欠な役割を果たしました。秋田は東京帝国大学文学部で学んだ知識人であり、青年期から外国の書籍や雑誌を通じて「世界の笑い話」に強い関心を持っていました。
秋田實の最大の目標は、当時の「卑猥で低級な笑い」と見なされていた「萬歳」を、家族連れや女性、子供でも安心して楽しめる「無邪気な笑い」へと昇華させることでした。この洗練された喜劇への志向は、彼の国際的な喜劇形式や理論に関する広範な研究によって形成された可能性が高いです。彼は、欧米の喜劇が持つ普遍的なユーモアの構造や、より洗練された表現方法を日本の漫才に取り入れようと試みました。
2. 欧米のコメディデュオとの類似性
20世紀初頭のアメリカでは、ボードビルという舞台芸術が隆盛を極め、その中で「ダブルアクト」と呼ばれる二人組のコメディが人気を博していました 。この形式は、日本の漫才の「ボケ」と「ツッコミ」に類似する役割分担を持っていました。
2.1. 「ストレートマン」と「ファニーマン」の構造
アメリカのコメディデュオでは、「ストレートマン」(冷静で常識的な役)と「ファニーマン」(滑稽で愚かな役)という役割が一般的でした 。例えば、アボットとコステロの有名なルーティン「Who’s on First?」では、ストレートマンのアボットが野球選手の名前を冷静に読み上げることで、ファニーマンのコステロの混乱と苛立ちを増幅させ、笑いを引き出しました 。バーンズとアレンもまた、グレイシー・アレンの独特な世界観と、それに対するジョージ・バーンズのストレートな反応で人気を博しました。
この「ストレートマン」と「ファニーマン」の対話構造は、漫才の「ボケ」と「ツッコミ」の原型である伝統的な萬歳の「才蔵」と「太夫」の役割と機能的に類似しています 。横山エンタツ・花菱アチャコが確立した「しゃべくり漫才」は、このような欧米のコメディデュオに見られる言葉遊びや誤解の連鎖、速いテンポの対話を主要な喜劇的装置として多用する点で共通性が見られます。
2.2. 外見と表現の近代化
横山エンタツと花菱アチャコは、漫才師として初めて背広姿で舞台に上がり、「きみ」「ぼく」と呼び合う現代的な言葉遣いを取り入れました 。これは、当時の都市部の「小市民層の生活感覚」に合致するものであり、伝統的な和装や古風な言葉遣いからの脱却を意味しました 。この洋装化は、エンタツがアメリカ巡業で見た西洋の喜劇の影響も大きいと考えられます。
また、中田ダイマル・ラケットの「アクション漫才」も、チャップリン映画のボクシングシーンから着想を得たとされており、アメリカ喜劇映画が漫才に与えた影響の具体例として挙げられます。
3. 外部文化受容の意義と漫才の進化
漫才の近代化における外部文化の影響は、単なる模倣に留まらず、日本の伝統的な笑いの形式と融合し、新たな表現を生み出す原動力となりました。
表現の多様化: 欧米のコメディから得られた知見は、漫才が歌や踊りといった「色もの」に頼らず、会話の面白さだけで成立する「しゃべくり漫才」という、より抽象的で汎用性の高い形式へと進化するきっかけとなりました 。これにより、漫才は時事ネタや日常会話など、より広範な題材を扱うことが可能になりました。
大衆化の促進: 秋田實が目指した「無邪気な笑い」は、漫才が従来の男性中心の寄席から、家族連れや女性も楽しめる大衆娯楽へと変貌する上で重要な役割を果たしました。これは、欧米のコメディがより幅広い層に受け入れられていた状況とも符合します。
メディアへの適応: 「しゃべくり漫才」は、ラジオやテレビといった視覚情報が限定されるメディアにも適応しやすく、漫才が全国的な大衆娯楽となるための重要な土台を築きました 。マイクの導入も、より繊細な声のニュアンスや速いテンポでの会話を可能にし、しゃべくり漫才の進化を促しました。
結論:外部文化が拓いた漫才の新たな地平
漫才の近代化は、日本の伝統的な芸能の土壌に、欧米の喜劇文化がもたらした新たな視点と技術が融合することで実現しました。横山エンタツのアメリカ巡業や漫才作家・秋田實の国際的な喜劇研究は、漫才が「しゃべくり漫才」という革新的なスタイルを確立し、洋装化や現代的な言葉遣いを取り入れる上で決定的な役割を果たしました。
アメリカのボードビルコメディデュオに見られる「ストレートマン」と「ファニーマン」の構造や、言葉遊びを多用する対話形式は、漫才の「ボケ」と「ツッコミ」の発展に間接的、あるいは直接的な示唆を与えたと考えられます。これらの外部からの影響は、漫才が単なる伝統芸能の枠を超え、時代と共に変化し続ける大衆娯楽として、その表現の幅を広げ、全国的な人気を獲得する上で不可欠な要素となりました。漫才の歴史は、外部文化を柔軟に受容し、自己変革を遂げることで、常に新たな笑いの形を創造してきた証と言えるでしょう。
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